死ぬには日がわるい

うつ病女の生きるわけ

死ぬには日が悪い

上島さん死去のニュースを見てどうしても引っ張られてしまう。

 

私だって生きていくのが嫌になる。

人生の中に辛い何かがあるのではなく、「"生きることが嫌になる自分を抱えて生きていくこと"を終わらせたい」と感じる。

 

仕事や他人に突き動かされて頑張りすぎて消耗したり、逆にやりたいことと向き合えずダラダラしてしまう自分に失望したり、それでいて他人に嫉妬したり。

けれど、それでも、なにもしない。なにもない人生であること。何者でもないこと。

他人や自分の人生の粗を探して怒りや後悔を反芻してばかりいる。

そういう人生を終わらせたくなる。

 

上島さんのように、ふと首に縄をかけて死んでしまおうか。そんなアイデアが頭に浮かぶ。軽い気持ちでそこへふと足を踏み出しそうになる。

 

それでだ。

今終わらせるとしたら、片付けておくべきことがある。

親や兄弟や恋人が私の死を重荷に感じないようにしておくべきことがある。

私の死後、みんなが困らないように遺品を減らしておこう。サブスクやらなんやら、手続きのいるものは解約しておかなければ。

少しずつ周囲との関係を簡素にして、周りが無駄に気に負わないようにしなければ。

…ああやることがありすぎる。今日死ぬには日がわるい。

そんなふうに思って、思いとどまる。

 

たぶん、とても疲れたある日、もういいや死後なんて、周りの人なんてなんでもいいや…と思ったら、その時が"その時"なんだろうなあ。

ある意味で私は周りとの繋がりによって生かされているなあと思う。